平成23年12月号「気仙沼」
気仙沼のタクシー運転手さんの話
「私は3歳の娘を小脇に抱え、6歳の娘に、あの高台まで後を振り返らないで、ただひたすら走れ、お父さんも追いかけて走るから、と言って2人で必死に走ったんです。目標の高台にやっとこさ辿り着いた時には足元迄水が来ていたので本当に間一髪でした。水産加工の工場で働いていた女房はどうなっているのか分からなかったのですが、しばらくしてラジオの呼び掛けがあり無事だと知りました。ところが携帯が繋がらないので連絡できず、会えたのは3日後でした。」
「高台を目指して走っている時、『公民館に行くのが良いそうだ』との声がして、私と反対の方向に走って行く人に何人も会いました。しかし、公民館を目指した人達は誰も助からなかったんです。ああいう事態の時には誤った噂、デマって言うんでしょうか、が流れるんだそうで、そういう例だったんですね、あれは。」
「私の家はこのすぐ近くにあったのですが、家は流されて無くなってしまい、私の土地の上には他の人の家が乗っかっているんです。」
「お客さん、東京の人ですよね。東京で大地震があったら、前もって決めていた場所に向けてひたすら避難して下さい。噂なんかに惑わされてはいけません。それにもう一つ。車で逃げてはいけません。道路はすぐ渋滞になり、車は全く進めなくなりますから。今回の津波では車で逃げた人の多くが車共々流されて亡くなりました。災害の時の車は駄目です、全く役に立ちません。」
「この村(気仙沼と陸前高田の間に位置する小さな入り江にあった戸数200~300戸の村落)もそして同規模の隣の村も、最も高い所にあった4~5軒が残っただけで、後は全て流されて、村そのものが無くなってしまいました。こういう村はもう元には戻らない、戻れない、そんな気がします。」
「最近(震災後7ケ月)は新聞に求人広告が沢山出ます。だけど人が集まらないのだそうです。だから仕事が全く無いってことじゃないんです。失業保険がある間は無理して働きたくないってことのようです。それに対してパチンコ屋は一杯なんです。困ったもんです。」
11月上旬、仙台と気仙沼と陸前高田に行きました。そこで見たり感じたこと。
津波の恐ろしさを目の当たりにして今更ながら驚きましたが、中でも気仙沼と陸前高田の間にあった2つの村と、意外に平地の多い陸前高田の街がほぼ完全に消滅していたこと、そして、これらの村や町は復元しないかもしれない、即ち、本当に消えてしまうかもしれない、と感じた時には、何とも言えない淋しい気持ちになり、被災地の闘いはまだこれから、それも10年単位の長い闘いになるのだろう、離れた東京に住む者の1人として、この現実は決して忘れてはならない応援を続けねばと思いました。
他所で聞いたお酒が売れているという話には、今は酒も必要だろう、パチンコ屋が流行っていることも分かるような気がする、しかし、一日も早く心を立ち直らせて前向きに歩き出して戴きたいと思いました。
自分の仕事、即ち、漁業とか水産加工業等々の被災前に従事していた仕事の立ち上がりがまだ先になるとしても、経験のない仕事であっても自分が従事していた仕事の立ち上がり迄の間の繋ぎとして求人に応じて働き始めて下さると良いのだが、そうなされば働いているという実感、他人や地域の役に立っているとの実感が、心の立ち直りを早め確実にしてくれるのではなかろうか、そうなるといいがなぁとも考えました。加えて、これから寒い寒い冬になる、大変だろうなぁ、心も体も寒いんじゃ堪らないだろうなあ、是非是非へこたれず乗り越えて戴きたい、と願いました。
夕方仙台に戻り街に出たところ一番町は思ったより人が多かったし仙台市内のホテルだけでなく松島にあるホテルも含めてホテルはほぼ満室、デパートも夏頃から前年の売上高を超えており、銀行に集まるお金、つまり預金も相当に増えていると聞き、東北地方のリーダー都市仙台が元気になりつつあることに少しホッとしました。
